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菅生神社(すごうじんじゃ)は、愛知県岡崎市康生町にある神社。毎年夏に行われる菅生祭(後述)は、能見神明宮大祭(5月)、岡崎天満宮の例祭(9月)とともに岡崎三大祭の一つに数えられている。 == 歴史 == 社伝によれば、起源は第12代景行天皇の時代にさかのぼる。110年10月、景行天皇の子の日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国平定のために菅生の地を通過した際、高石(たかいわ)に伊勢大神を勧請し、神社を建て「吹矢大明神」と称した。菅生神社が岡崎市最古の神社と言われるのはこの言い伝えをもとにする。なお高石は現在の菅生町、岡崎信用金庫本店南側の満性寺あたりを指す。 725年(神亀2年): 御神託により京都伏見から「稲荷大明神」をお迎えし「吹矢大明神」の同殿に合祀する。社地を亀井戸の地(六地蔵町1丁目)に移した。 1517年(永正14年): 額田郡宮崎町に勧請された牛頭大王が洪水で岡崎高石の地に流れ着く。そして翌1518年(永正15年)にここに本社を造営し「菅生天王」と称した。 1523年(大永3年): 岡崎城主松平信貞が境内に12末社を勧請。 1566年(永禄9年): 徳川家康が社殿を再建する。 1591年(天正19年): 城主田中吉政が城郭拡張のため社領などを没収し、12末社も破却した。その後岡崎城内殿橋東側の地に移転。 1638年(寛永15年): 城主本多忠利が本殿を修復。その際に寄進した石鳥居は神社の北入口に現存する。この石鳥居は1990年(平成2年)3月22日に岡崎市の文化財に指定されている。 1646年(正保2年)12月17日: 城主水野忠善が徳川家康を祀る。 1868年(明治元年): 菅生神社と改称。 1876年(明治9年): 岡崎公園内の龍城神社境内に移転。 1890年(明治23年): 殿橋東側に再び移転。 1901年(明治34年): 現在地に移転した。 1945年(昭和20年): 戦災で社殿が焼失(その後再建され現在に至る)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「菅生神社 (岡崎市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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